着物と共に歩んだ「洗い」の文化 〜 なぜ着物のお手入れは特別なの?

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はじめに:「服を洗う」って、実は奥深い文化のこと

私たちが毎日当たり前のように洋服を洗濯機に入れて洗うのって、本当に便利ですよね。でも、実はこの「服を洗う」という行動には、単に汚れを落とすだけでなく、その時代の人の美意識や、社会の考え方、さらには人との関わり方までがギュッと詰まっているんです。

特に日本では、「着物」という、世界に類を見ない特別な服が昔からありました。そのため、着物のお手入れ、つまり「洗い」についても、洋服とは全く違う、日本独自の文化が生まれてきたんです。

私たちが今しているような、洗濯機に服を放り込む洗い方は、歴史的に見ればごく最近のこと。それよりもずっと昔の日本では、特に絹でできた着物の場合、水や洗剤を使ってしょっちゅう洗うなんてことは、むしろ「避けるべきこと」でした。とても慎重に、まるで大切な儀式のように、一枚一枚手入れされてきたんです。

この最初の章では、着物にとって「洗う」ということが、一体どんな意味を持っていたのか、どんな考え方のもとで行われていたのかを、じっくりと掘り下げていきます。そして、着物のクリーニングが、ただの「服のお手入れ」を超えた、深い「文化的な意味合い」を持っていたことを皆さんに知っていただきたいと思います。


着物は「おしゃれ」であると同時に「シンボル」だった

昔の人にとって、着物は単に体を隠すための布ではありませんでした。それは、その人の身分や格式(どれくらいの位か、どんな家柄か)を表すものであり、季節の移り変わりを表現するおしゃれな道具でもありました。さらに、その人がどんな教養を持っているか、どんな趣味があるかまでを映し出す、まさに鏡のような存在だったんです。

だからこそ、着物をいつもキレイに保つことは、単に汚れを落とすこと以上の意味を持っていました。いつも「清らか」で「きちんとしている」ことが、人として当たり前の礼儀であり、周りの人たちへの「敬意の表れ」でもあったのです。

つまり、「着物を洗う」という行動は、ただのクリーニングではなく、自分自身の心やあり方をきちんと整えることと同じくらい大切なことだったのです。


「洗う」ではなく「清める」という文化

日本では、古くから「穢れ(けがれ)」をとても嫌う文化がありました。これは、日本の神様を大切にする「神道(しんとう)」という考え方が強く影響していて、目に見える物理的な汚れと、心や魂の汚れが、とても深く結びついて考えられていたんです。

ですから、着物をお手入れする時も、ただ汚れを取るだけでなく、「浄化(きよめる)」とか「清め(きよめる)」という、精神的な意味合いが込められていました。

平安時代の貴族たちは、着物を水で「洗う」ことよりも、「干す」「風を通す」「お香(こう)を焚く」といった方法で、衣類を清らかに保っていました。これは、単に見た目をきれいにするためだけでなく、着物に「良い気を通す」とか「身の回りを清める」といった、目に見えない大切な価値観が含まれていたからなんです。

着物に焚き染められたお香の香りは、その着物を身につける人の品格や教養、そしてどんな生活をしているかを表すものでした。また、人と人との距離感を測る、一つの目安にもなっていたんですよ。つまり、着物を「洗う」という行為は、昔の人の暮らし方や、人との関係性にまで深く影響を与えていたんですね。


着物は「使い捨て」ではなかった

今の時代、洋服は「使い捨て」のように扱われがちです。古くなったり、流行遅れになったりしたら捨てて、新しいものを買うというサイクルが当たり前になっています。

しかし、着物は全く違う考え方のもとに存在してきました。

着物は、何度も「仕立て直し」ができるように作られています。たとえば、体型が変わったら寸法を変えたり、一度着物をほどいて布の反物(たんもの)の状態に戻してキレイに洗い(これを「洗い張り(あらいはり)」と言います)、そしてまた新しい着物として仕立て直したりすることが、昔はごく普通に行われていました。

さらに、汚れてしまった部分を専門の職人が色を染め直す「染色補正(せんしょくほせい)」や、柄を付け足す「柄足し(がらたし)」、裏地だけを交換するなど、あらゆる修理や修繕が最初から考えられていたんです。

つまり着物とは、「長く大切に着る」ことを前提に作られた、とてもエコでサステナブル(持続可能)な衣服だったんですね。そして、その「長く着る」という考え方を支えていたのが、ご紹介したような「洗い」の文化であり、それを支える職人さんの素晴らしい技術だったんです。

着物を丁寧に手入れするということは、その持ち主が自分の人生や日々の暮らしを大切にしていることの証でもありました。


着物を洗う行為は、周りの「人」にも見られていた

もう一つ面白い点は、着物を洗ったりお手入れしたりする行動そのものが、周りの人の目に触れるものであった、ということです。

例えば、江戸時代には、先ほどお話しした「洗い張り」のために、着物をいったんほどいて長い反物の状態に戻し、それを川の流れの中や、公園のような広い場所に広げて干す光景が、日常的に見られました。これはまさに、昔の人の生活の中に「洗い」という行為が、ごく自然に溶け込んでいた証拠です。

干してある着物の反物がどれだけ美しいか、どれだけ丁寧に手入れされているかを見れば、その家の暮らしぶりや、どんなことを大切にしているかまでが、周りの人には分かってしまう。「洗い張り」は、「その家庭の文化が、目に見える形になったもの」だったとも言えるんです。

また、着物の洗いをお願いするために「悉皆屋(しっかいや)」などの職人の元へ依頼するという行為そのものも、お客様と職人の間の「信頼関係」や、職人さんの「技術への敬意」があってこそ成り立っていました。「洗う」「預ける」「仕立て直す」――これら全てが、文化的な「人と人とのつながり」の中で行われていたんですね。


まとめ:着物クリーニングの出発点って、何だったの?

着物クリーニングの歴史をたどっていくと、私たちは単に「洗濯技術がどう変わってきたか」を見るだけではありません。「私たち日本人が何を大切にしてきたか」「どんな価値観の中で生きてきたか」という、日本の文化が歩んできた道のりをたどることになるんです。

いつも清潔でいたいという気持ち、美しさを保つための努力、周りの人への敬意、自然との調和、そして物を大切に長く使うこと――これらすべての心が、「着物を洗う」という、昔から受け継がれてきた行動の中に息づいていたんですね。

この章では、現代の着物クリーニングを理解する上で、どうしても知っておいてほしい「昔からの考え方」や「文化的な背景」に焦点を当ててみました。着物のお手入れは、単なる家事ではなく、日本の美しい文化を未来へつなぐ大切なバトンなんだ、と感じていただけたら嬉しいです。

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